マリブカントリークラブ❷

2024.3.2

1964年に祖父が作ったマリブカントリークラブは、オープン当初、無名のゴルフ場だった。

ところが、2年後の1966年、ゴルフワールドカップが日本で開かれたのをきっかけに第二次ゴルフブームが巻き起こり、ゴルフ人口が急増し、マリブカントリークラブもその恩恵を受けた。

さらに1983年、横浜にて大規模な都市再開発事業「みなとみらい21」が始まり、マリブカントリークラブにも市の介入が入った。広い土地を持つゴルフ場の存在感は大きく、そこにも手を加えることになったのだ。設備投資の1/2を補助金で支払うという条件で、市から著名な建築家が派遣された。

未来都市にありながら様々な木々で囲まれたマリブカントリークラブの外観は自然豊かで、日本を代表する都市再開発のゴルフ場として脚光を浴びることになり、テレビや雑誌などにも多く取り上げられた。

さらにコロナの影響によるリモートワークがゴルフ熱に拍車をかけ、アフターコロナでは、人との交流や顧客の接待を行う快適な環境として、休眠中だったゴルフ愛好者たちも目覚めた。

そんな社会背景の後押しもあり、マリブカントリークラブは、予約を取るのが難しい人気のゴルフ場へと成長したのである。

2015年、マリブカントリークラブの経営が上昇傾向で落ち着いた頃、祖父は引退を決意し、晴也が跡を継ぐことになった。

晴也の父はというと、戦後の復活を遂げるウクライナと新規に貿易を結ぶため、日本とウクライナを往復する日々が続き、多忙を極めていたし、長年、祖父の秘書として働いていた晴也がオーナーを引き継ぐことは自然の成り行きだった。

タワーマンション、ショッピングセンター、大企業ビル、観光客、家族、恋人、社会人でごった返すみなとみらいだが、マリブカントリークラブの門をくぐり銀杏並木を進むと喧騒は消えていき、まるで異次元の世界に入り込んだような錯覚が起こる。晴也は昔からその瞬間が大好きだった。

しばらく進むと左手に5階建てのレンガ造りの建物が見える。そこに、晴也は2人の妹と3人で暮らしている。