朝の空気は、妙に軽かった。
山中将大は、
練習グリーンの端でパターを転がしながら、
そう感じていた。
軽い、というより――静かすぎる。
プロテスト最終日。
ここに立っているのは、
プロになるか、ならないか、
その境目に立たされた人間だけだ。
将大はバッグの中のドライバーを
一度だけ見て、
すぐに視線を外した。
350ヤードのミドルなら、
昔はドライバー一発で
グリーンに乗せていた。
プロ野球選手だった頃の話だ。
4番センター。
チームの真ん中に立ち、
一振りで流れを変える役目を
背負っていた。
だが肘を痛め、ある日を境に
送球が思ったように伸びなくなった。
外野からの返球が、
ワンテンポ遅れる。
その違和感は、
すぐに致命傷になった。
治ると言われた。
時間もかけた。
だが、グラウンドに立つ自分の姿は、
最後まで戻ってこなかった。
――飛ばす感覚だけが、身体に残った。
その感覚を手放せず、
将大はゴルフを選び、
ここまで来た。
ティーイングエリアに立つと、
身体が勝手に力を入れようとする。
そのとき、足元で声がした。
「まだ、野球のスイングだな」
白いゴルフボール、
ゴル先生だった。
「距離はいらない。
今日は、置いていく日だ」
将大は、息を吐き、
振り幅を半分にした。
ボールは音もなく
フェアウェイの真ん中に落ちた。
短いが、十分だった。
前半は派手さのないゴルフが続いた。
パーとボギー。
ミスはあるが、大怪我はしない。
林に入らず、
バンカーを避け、
外しても、外していい場所に外す。
プロ野球の最後も、
こんな打席ができていれば――
ふと、そんな考えが頭をよぎるが、
将大はすぐに振り払った。
12番ホール。
330ヤードの短いミドル。
昔なら、何も考えずにドライバーだった。
手が伸び、
肘が、じくりと主張する。
「そのクラブで勝ちたいか?」
ゴル先生の声。
「それとも、通過したいか?」
将大は5番アイアンを抜いた。
刻みだ。
次のショットで
ピン奥3メートルにつけた。
バーディは逃したが、パー。
将大の中で、
何かが静かに定まった。
16番ホール。
追い風。
将大は、
スプーンを選んだ。
叩かず、払う。
ボールは風に乗り、
十分すぎるほど前へ進んだ。
ゴル先生が、どこか楽しそうに言った。
「飛ばすってのは、力じゃない」
最終ホール。
グリーン周りのアプローチ。
力めば、終わる。
将大は、
クラブヘッドの重さだけを感じて振った。
ボールは静かに転がり、
カップの横で止まった。
パー。
順位表が掲示される。
合格ラインの、
ほんの少し上に、
山中将大の名前があった。
現実だと理解するまで、
少し時間がかかった。
足元で、ゴル先生が転がる。
「合格だ。プロだ」
将大は空を見上げた。
飛ばなくなった肘も、
失った野球も、
4番として背負った重さも、
遠回りした時間も、
全部ここにつながっていた。
もう、350ヤードはいらない。
叩かなくても勝負はできる。