マリブカントリークラブ❶

晴也は自宅の屋上からマリブカントリークラブのシーサイドコースを見下ろしていた。
マリブカントリークラブは、港に面した爽やかな風が吹くシーサイドコース、山手の丘に広がる緩やかな傾斜を利用した丘陸コース、平地にそびえ立つ林を切り開いて作った林間コースの3コースが配置されている。

「お天気は上々、風は微か。今日はアリとコースを回るのに最適な1日になりそうだ。」3月にしては暖かくなりそうで、晴也は朝から心が躍っていた。

ここマリブカントリークラブはみなとみらいに隣接するゴルフ場。1964年、横浜がまだ、貨物列車が行き交うだけでその周り一体は荒野だった頃に、晴也の祖父が建設したゴルフ場だ。

第2次世界大戦終戦後間もなく、まだ海外には自由に行くことができなかった時代に、祖父は限り得る伝手を使い、いち早く英国への船に乗り込み、ウイスキーやワインなどの洋酒と紅茶の販売権を手に入れ貿易業を始めた。

ビジネス目的での渡航が自由になると、先駆けだった祖父の事業は勢いが増し急速に成長していった。イギリスのビジネスパートナーからの誘いもあり、さらなる文化交流の場を求めて、日本での事業を息子である晴也の父に任せ、自らはイギリスで生活することを選んだ。

イギリスでの生活にも慣れ、仕事仲間との関係も深くなると、イギリスにはゴルフを愛する人がなんと多くいることかと祖父は驚愕した。

昼間は、厳格で気難しいビジネスマンも、はたまた、のんびりと郵便物の仕分けをしている時給で雇われた事務員もゴルフ場に立つと同じグリーンで真摯に真剣に競い合う。そしてそのオンとオフのバランスを真に楽しんでいるのだ。

日本はその頃、高度経済成長期の真っ只中で、ビジネスマンは寝る間も惜しんで働いていた。このままでは、日本は経済的には世界に追いついたとしても、個人としてのオリジナリティが薄れ、何かが欠落した国になってしまうのではないかと祖父は焦りを感じた。

そんな思いもあり、紅茶の販売権を売却し、その資金でマリブカントリークラブを建設したのだった。

さらに付け加えるなら、当時の祖父はイギリスの地で、ゴルフ愛に取り憑かれた仲間たちの一員となり、イギリス人に負けないくらい熱い思いで仕事とゴルフに没頭していた。