島根の田舎で必死に金を貯め、
高瀬遼は東京に出てきた。

夜になると真っ暗になる町。
特急に乗らなければ、
都会の光には触れられない場所。
子どもの頃から、
テレビの向こうの東京は、
自分とは違う人生が流れている場所だった。

選んだのは、
再開発から少し外れた古い商店街。
空き店舗だった小さな店に、
遼は YORIMICHI と名付けた。

真っ直ぐ来たつもりだった人生が、
気づけば回り道ばかりだったからだ。

最初は不安だらけだったが、
八百屋の親父、
総菜屋のおばちゃん、
酒屋の兄ちゃん——
みんなが気さくで、
店を開いた初日から声をかけてくれた。

「若いの、何屋だ?」
「無理すんなよ」
「困ったら言え」

東京の人は冷たいと思っていた。
だが、この商店街は、
島根の町内会と、どこか似ていた。

「ゴルフやるか?」

商店街の会長にそう言われたのは、
店を開いて間もない頃だった。

「年に二回、コンペがあるんだ。
 顔出しとけ」

遼は喜んで名前を書いた。

そんな頃だった。
東京で働いている、
島根時代の友達が店に来た。

「うわ、遼じゃん」
「まさか東京で、店やってるとはな」

カウンター越しに酒を飲みながら、
宍道湖の夕焼け、
夜になると何もなくなる駅前、
東京に出ると言った日のことを話した。

「結局、来たな、お前も」

そいつは、島根を出てから
ずっと金融関係の仕事をしていると言った。

株や為替のトレードを個人でやりながら、
保険の代理店業も手がけ、
中小企業の資金相談にも
顔を出しているらしい。

名刺には肩書きがいくつも並び、
「今は、組織に縛られない方が強い」と
当たり前のように言った。

「金、寝かせてるだけじゃ勿体ない」
「今は、金に働いてもらう時代だぞ」
「島根の縁だ、俺が上手く回してやるよ」

今思えば、
具体的な話は何ひとつなかった。

だがそのときの遼には、
都会で生き残っている同郷の友達が、
やけに大きく見えた。

店のため。
この街で生きていくため。

遼は、手持ちの2000万円、すべてを預けた。

——連絡は、二度と来なかった。

電話は繋がらず、
メッセージも既読にならない。

最初は「忙しいだけだ」と思った。
次に「そのうち来る」と思った。
最後は、考えるのをやめた。

夜の店で、
YORIMICHI の看板を見上げながら、
遼は初めて思った。

――帰ろうかな。

島根に。
夜が静かすぎる、あの町に。

商店街の会長に相談した。

「正直に言うが、お金はもう戻ってこない」
「頑張るしかない」

慰めにもならない言葉だったが、
会長は続けた。

「でもな、この街は、逃げない」

コンペ当日。

後半スタートの10番ホール。
距離は短いが、右はOB、左は深いラフ。

「刻めばいい」

頭では分かっていた。
それでも遼は、ドライバーを抜いた。

一発で取り返したかった。

OB。
暫定球。
ラフ。
バンカー。

11。

スコアカードに書いた数字が、
やけに重かった。

グリーン脇で、
足元に転がってきたボールが、小さく言う。

「飛ばしすぎだ」

ゴル先生だった。

「回り道が下手なやつほど、
 真っ直ぐ行こうとする」

それだけ言って、
ゴル先生は黙った。

次のホール、
遼はアイアンを手に取った。

低く、まっすぐ。
フェアウェイの真ん中。

飛ばなかったが、
失わなかった。

プレー後。

「コンペの打ち上げは、
 明日、お前の店な」

八百屋の親父も、
総菜屋のおばちゃんも、
酒屋の兄ちゃんも、
次々と YORIMICHI に入ってくる。

「うまいな」
「落ち着くな」

会長が言う。

「みんな、
 何かとこの店を使って盛り上げていこう」
「お前も頑張れ」

夜、片付けをしながら、
遼はふと、スマホを手に取った。

通知はない。
履歴の一番下に、
島根の友達の名前が残っているだけだった。

画面を伏せ、
遼はグラスを拭く。

東京に憧れて出てきた。
でも今は、
誰かがふらっと立ち寄れる場所を、
ここに作っている。

飛ばなくていい。
一発じゃなくていい。

回り道でも、
戻ってこれる場所があればいい。

遼はもう、
故郷に戻ろうとは思わなかった。