その年、沢村圭吾は、すべてを手に入れた。
クラブ選手権。
シニア選手権。
スクラッチ選手権。
出場したすべての大会で
チャンピオンになった。
勝つべくして勝った、というより、
やるべきことを
すべてやり切った結果だった。
練習も、体調管理も、コース戦略も。
もう削るところはなかった。
祝賀コンペは、圭吾自身が音頭を取った。
知り合いのプロ選手。
長年のゴルフ仲間。
後輩たち。
総勢36名。
組み合わせを考え、景品を手配し、
表彰式の段取りまで決めた。
思った以上に大変だったが、
コンペは大いに盛り上がった。
笑って、飲んで、握手をして。
「おめでとう!」
「さすがチャンピオン!」
その声に囲まれながら、
圭吾は何度も頭を下げた。
すべてが終わった翌日。
目が覚めても、
ゴルフのことを考えなかった。
クラブを触ろうとも思わなかった。
——おかしいな。
年間80回はラウンドしていた。
予定が空けば、自然とコースに出ていた。
それなのに。
仲間から誘いが来た。
「今週どう?」
画面を見つめ、少し迷ってから返事をした。
「行きます」
だが、心はまったく動いていなかった。
行く。でも、やるぞ、という感じがしない。
ティーグラウンドに立っても、
胸が高鳴らない。
(あれ……?)
その日、一緒に回っていた仲間に、
正直に話した。
「なんか……ゴルフする気が、出ない」
「燃え尽きたんじゃないですか?」
誰かが、軽く笑いながら言った。
「大丈夫ですよ。しばらくしたら、
またガッツ戻ってきますって」
「そうそう。沢村さんレベルなら」
みんな、悪気はない。
励ましてくれている。
でも、沢村の胸は晴れなかった。
——戻る気がしない。
——そもそも、戻りたいのかも分からない。
そのとき、足元で白いボールが、
小さく転がった。
「無理に戻らなくていいんじゃない?」
聞き覚えのある声。
圭吾は、ゆっくり視線を落とした。
「君さ」
ゴル先生は、芝の上で止まり、言った。
「ゴルフで、全部やり切ったこと、ある?」
「今回が、そうです」
「うん。だから今、燃え尽きてる」
即答だった。
「それ、悪いことじゃないよ」
「でも……何もしたくないんです」
「それでいい」
ゴル先生は、さらりと言った。
「燃え尽き症候群ってね、
情熱が強かった証拠だから」
「でも、
ゴルフが嫌いになったわけじゃない」
「うん」
「なのに、やる理由が、見つからない」
ゴル先生は、少しだけ間を置いた。
「君、今まで何のためにゴルフしてた?」
「勝つためです」
「じゃあ、勝った今は?」
答えが、出なかった。
「目的が終わっただけだよ」
ゴル先生は言う。
「ゴルフが終わったんじゃない」
「新しい目的を、
見つけないといけないんですか」
「いや」
静かに否定した。
「目的のないゴルフを、一回やってみな」
「……目的がない?」
「スコアも、大会も、肩書きも、ない」
「じゃあ、何をすれば」
ゴル先生は、少しだけ白く光った。
「好きなホールで、好きな球を打つ」
次のホール。
圭吾はスコアカードをポケットに入れた。
パーはいくつか。ハンディはいくつか。
もう、見なかった。
ティーグラウンドから見下ろす景色が、
やけに広く感じられた。
(このホール、昔から好きだったな)
距離があるわけでも、簡単なわけでもない。
ただ、フェアウェイのうねりと、
奥に見える林の影が、なぜか落ち着く。
圭吾は、
いつもなら選ばないクラブを手に取った。
結果を考えない一球。
——高い球を、
——ただ、打ってみたい。
スイングは、自然だった。
狙いも、計算もなかった。
カン、という音。
ボールは、少し高く上がり、
思ったより短い距離で落ちた。
完璧ではない。
それでも、圭吾はまんざらでもなかった。
「……今の、気持ちよさそうでしたね」
誰かが、柔らかい声で言った。
圭吾は、初めて気づいた。
——自分は、結果じゃなく、
感触を楽しんでいる。
その後も、スコアは数えなかった。
得意なホールでは、好きなラインを選んだ。
失敗しても、理由を探さなかった。
ただ、「今の球は嫌いじゃない」
それだけで、次へ進んだ。
胸の奥にあった重たいものが、
少しずつ、ほどけていくのが分かった。
足元のボールが、
何も言わずに、そこにあった。
——燃え尽きるほどやったなら、
——しばらくは、
——只々、楽しむゴルフに身を置けばいい。
圭吾は、ゴルフとの付き合い方を
当分変えてみようと、
風の音の中で思った。