夏の早朝だというのに、
空から落ちてくる光は
すでに刺すように熱かった。
正直に言えば、今日は行きたくなかった。
「今日は暑くなりそうだなあ。
無理しないでまた今度にするか」
そう思った瞬間、85歳の顔が浮かんだ。
大西 源蔵、85歳。
エイジシュート176回。
冗談ばかり言って、いつも先に笑う男。
誘われたのは三日前だった。
「早朝スルーでどうだ。
涼しいうちに回ろう」
その声が、やけに楽しそうだった。
断る理由はいくらでもあった。
暑さ、体調、気力。
だが――自分より年上の誘いを断るのは、
どこか負けた気がした。
「……よし」
黒田 和男、81歳。
エイジシュート99回。
本日達成すれば、100回目。
重い腰を上げ、ゴルフ場に向かった。
スタートホール。
大西はいつも通りだった。
「今日は記念日になるぞ。
100回目の祝杯は俺のおごりだ」
「まだ終わってない」
「OK、OK。今日は大目のOK」
大西は笑いながら言う。
だが黒田は気づいていた。
その軽さの奥にある、
祈るような優しさを。
黒田は今日は違った。
胸の奥がざわついている。
いつもの笑顔を貼りつけながら、
内側では闘志が静かに燃えていた。
グリーン上。
短いパット。
「それ、OKでいいだろ」
「……いいや」
黒田は首を振った。
「今日は全部、自分で入れる」
パターは――外れた。
大西は何も言わず、ただ笑った。
いつもの冗談も、
今日は少し控えめだった。
後半。
黒田の中で、何かが空回りしていた。
「力が入ってますよ」
ふいに、声がした。
振り返ると、
そこに白いゴルフボールの姿があった。
小さく、しかし堂々としている。
「ゴル先生……」
ゴル先生は転がりながら、
黒田の前に止まった。
「100目は、数字じゃありません。
あなたが “自分に嘘をつかないか”を
試す日です」
「……失敗ばかりだ」
「いいじゃないですか。
81歳が、本気になる日なんて、
そうありませんよ」
ゴル先生はにっこり笑った。
「最後は、あなたの一番信じている
一本で行きましょう」
最終ホール。
残り距離は微妙だった。
「刻むか?」と大西。
黒田は首を横に振った。
「ピンは、一直線上にある。
直ドラで行く」
「……相変わらずだな」
大西は笑った。
構える。
暑さも、回数も、年齢も消えた。
ただ、ゴルフだけがそこにあった。
インパクトは澄んだ音だった。
ボールは低く、真っすぐ伸び、
グリーンに乗り――転がり、転がり、
カップイン。
バーディ。
静かな一秒のあと、
大西が大きく笑った。
「百回目だな」
黒田も、ようやく笑った。
ラウンド後。
大西は一人、売店に消えた。
「ほら」
目の前に差し出されたのは、
黒田の好きな赤色の帽子だった。
「百回目の男に、似合うだろ」
「……ありがとう」
黒田は帽子を被り、少し照れた。
その足元で、ゴル先生が転がった。
「おめでとうございます。
でも、次は101回目ですね」
「まだやらせるのか」
「ええ。
あなたがゴルフをやめる理由、
まだ見つかりませんから」
大西が笑い、
黒田も笑った。
夏の朝は、相変わらず暑かった。
だがその日差しは、
どこか祝福の光のようだった。