その大会で、
浅井周平は優勝候補の一人と呼ばれていた。
年に一度、アマチュアなら
誰もが名前を知っている大会。
前年、私は最終日まで首位争いをし、
あと一打届かなかった。
だから今年も、
自然と名前が挙がった。
だが、エントリーした翌日、体は裏切った。
突然の体調不良。検査。入院。
そして、手術。
医師の言葉ははっきりしていた。
「半年後の大会ですか。
まずは、普通に歩けるように
なるところからですね」
その瞬間、
ゴルフのことを考えるのをやめた。
退院してしばらく経ち、
大会事務局に電話をかけた。
「体調の都合で、出場を辞退したく——」
そう伝えると、受付の女性は言った。
「かしこまりました。
恐れ入りますが、少々お待ちください」
保留音が流れた。
「お電話代わりました。理事長の高橋です」
低く、よく通る声だった。
「今回の大会は、
あなたの人生から半年を預かる催しです」
言葉の意味を考える前に、
続きが来た。
「それを
“体調が悪いから”という一言で手放して、
あなたは後悔しませんか」
私は、答えられなかった。
「勝たなくていい。
完走できなくても構わない」
理事長は、間を置いて言った。
「ただし、
大会に出場するための努力だけは、
自分に課しなさい」
理事長は大会辞退を受理しなかった。
電話を切ったあと、
周平はしばらく動けなかった。
数日後、
医師に勧められて近所の公園を歩いた。
芝生の上に立った瞬間、
足元で白いものが光った。
ゴルフボールだった。
誰が置いたのかは分からない。
だが、不思議と、
そこにあることが自然だった。
「今日は、歩くだけで十分です。
少しずつ前へ進みましょう。」
そんな声が、
風に混じって聞こえた。
その日から、
周平は、大会を目標にリハビリを続けた。
そして、大会当日。
朝のコースは、
張りつめた静けさに包まれていた。
スタートホールのティーイングエリア。
周平は深く息を吸った。
一打目は、
安全にフェアウェイへ。
飛距離は戻っていない。
だが、真っすぐだった。
前半は、耐えるゴルフだった。
無理をしない。
振り切らない。
刻んで、つなぐ。
淡々とパーを重ね、
気づけば、優勝争いの中にいた。
七番ホール。
セカンド地点で、
周平は一瞬迷った。
刻むか。
狙うか。
足元で、白い球が静かに止まった。
「今日は、狙っていい日です」
周平は、振り切った。
ボールはグリーンに乗り、
ギャラリーがどよめいた。
後半、
周平は完全に戻ってきていた。
十六番でバーディ。
十七番は、静かにパー。
最終ホール。
難しいアプローチが残った。
かつての自分なら、
無理に寄せにいっただろう。
だが今日は違った。
「入れなくていい。
ここまで来たことが、答えです」
転がしを選び、
ボールはカップの縁で止まった。
拍手が起きた。
結果は、三位。
スコアカードを提出したあと、
クラブハウスの前で
理事長に呼び止められた。
「今日、あなたは勝ちに来ましたか」
「いいえ。
戻ってくるために来ました」
理事長は、
静かにうなずいた。
「それで十分です」
「この大会は、ゴルフを人生から
外さなかった人のためにあります」
白い球が、
静かに芝の上で光っていた。
優勝ではなかった。
だが、失ったと思っていたものは、
すべて戻ってきていた。
まだ、ティーは刺さっている。